東京大学史料編纂所

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伊勢市神宮文庫・津市専修寺等出張報告

 昭和四十二年九月二十五日より十月一日までの七日間、神宮文庫・結城神社・専修寺・光明寺等の史料採訪を行った。
 この採訪調査の直接の目的は、昭和四十二年度出版の 『大日本史料第八編之二十八』に収載する長享三年八月二十一日の改元に関する史料を神宮文庫に、目下編纂中の『大日本史料第六編』に収録する常楽台開山存覚の伝記史料を一身田専修寺に採訪し、明治年間に結城神社に寄進された結城文書を写真撮影するにあった。
 神宮文庫では、もと三条公輝氏所蔵の「長享三年八月廿一日改元記草」及び「改元散状」を撮影した。「改元記草」は、改元定に参仕した三条西実隆が、その様子を記録したものであり、延徳改元に関する重要な史料である。但し、本書は写本であって、その書写の仕方や文字に不明な点が少なくない。「改元散状」は寛仁元年より宝暦元年に至る改元に関する出仕公卿の散状を編集したものである。
 同文庫ではこの他、永暦二年五月一日の官宣旨を含む「久志本常辰反故集記」、後醍醐天皇綸旨・日野資朝奉書などを裏文書とする「元亨三年内宮遷宮記」(影写本に既採)、江戸時代に伊勢国司の居館址を中心に描いた「勢州一志郡多気図」、応永年間の綸旨・遷宮記、東大寺文書の写本等を調査撮影した。その主要なものを表示すれば次の通りである。

 一 改元散状 寛仁元年より 宝暦元年まで 一冊
 一 長享三年八月廿一日改元記草 中院通秀書状等紙背文書六通あり 一冊
 一 応永六年内宮仮殿遷宮記 応永廿五年内宮仮殿遷宮記 一冊
 一 応永廿五年内宮仮殿遷宮記 一冊
 一 応永廿九年外宮仮殿遷宮記 散片 一冊
 一 応永廿九年外宮仮殿遷宮記 一冊
 一 応永廿五年八月廿九日内宮仮殿遷宮記
   応永廿五年八月廿九日内宮祢宜等解状等紙背文書廿一通あり 一冊
 一 守朝長官引付 延徳元年より永正四年まで 一冊
 一 久志本常辰反故集記 一冊
 一 勢州一志郡多気図 一枚
 一 東大寺古文書写
   久安五年六月十三日伊賀目代散位中 原利宗・東大寺権上座覚仁問注申詞記 一巻
 一 東大寺古文書写 天喜四年閏三月廿六日官宣旨案等十四通 一巻
 一 東大寺古文書写 建仁元年四月日東大寺僧 綱大法師等解状等十通 一巻
 一 東大寺古文書写 長承二年六月廿六日伊賀国司庁宣案等十六通 一巻
 一 古文書纂 古和文書 東大寺文書 石崎文書 橋村文書 一冊
 一 東大寺古文書写 正安三年十月廿二日大江清光田地売券等四十二通 一巻
 一 東大寺古文書写 天平九年四月六日皇后宮職牒等四十四通 一冊
 一 応永廿七年十一月廿八日称光天皇綸旨 一通

 専修寺では、応安六年に示寂する存覚の伝記史料として、存覚が文保元年から翌二年に亘って書写した「観無量寿経」「阿弥陀経」を調査し、その奥書を撮影した。これは存覚が二十九歳の時の書写で、願主の懇望によって親鸞の自筆本(西本願寺所蔵)から書写したものである。本文のほかに欄外及び裏面にある詳細な注釈まで丹念に写されていて、存覚の若き頃の筆蹟としても珍重すべきものであろう。
 結城神社文書は、祭神結城宗広が別格官幣社として祀られた際に、これを記念して宗広の後裔である結城一族から寄進されたもので、明治十七年から三十四年に至るまでに、直系の秋田結城家、仙台の小峯系白川家、甲斐の小峯系藤巻家等から奉納され、文書四十通ほどに系図・親類書等を含んでいる。本所影写本では伊達宗基氏蔵本「結城文書」、甲斐結城隆氏蔵本「結城小峯文書」にその大部分が採訪してあるが、その他に、元弘三年四月十七日の後醍醐天皇綸旨をはじめ、豊臣秀吉朱印状や宇喜多秀家・蒲生氏�・浅野長吉・北条氏康・花房秀就等の書状がある。京都大学では結城神社文書を影写し、その影写を本所で更に写真撮影しているが、重要文書群なので、今度改めて写真撮影を行った。
 なお今度の出張では、余暇を以って伊勢市光明寺を訪ね、鎌倉時代の瀬木氏処分状や光明寺残篇・結城宗広夫人書状・北畠親房御教書等、本所影写済みのものの他に、伊勢三つ判の珍らしい文書を撮影した。
 (臼井信義・小泉宜右)


『東京大学史料編纂所報』第3号p.76